プラトン(Plato):想起説– 西洋哲学史と倫理学のキホン(22) –

物事の本質を問うソクラテスの哲学的方法を引き継いだプラトンは、さらに、その方法を突き詰めていった。

ソクラテスは、すでに見たように、「ディアレクティケー」によって、物事の本質=普遍的な知(定義)を言い当てようとした。
言い当てたとき、人は本当の意味で〝知る〟のだった。
それでは、〝知る〟というのは、いったいどういうことなのか?
ここでプラトンは、この〝知る〟ということについて、『メノン』のなかで、ある重要な記述をしている――

あるとき、ソクラテスが、メノンという貴族出身の青年に対して、〝徳とはどのようなものだと思うか?〟と質問した。
これに対してメノンは、〝男の徳とは、国家の仕事をうまくこなしたり、友人を敵から守ったりすることだ。また、女の徳とは、夫によく仕(つか)え、家庭をうまく切り盛りすることだ〟と答えた。
メノンは、ソフィストから教育を受けており、彼らの常套手段を使って、質問の意図をすりかえ、物事の本質について答えるべきところを、1つ1つの例を挙げることによって答えとしたのだった。
ソクラテスは、メノンに対して、こう詰め寄った――
〝私が求めているのは、そんな答えではない。たとえば、ミツバチとは何かと尋ねられた場合、こんなミツバチがいる、あんなミツバチもいると答えても、それはミツバチが持つ特徴を列挙しているにすぎない。この場合に求められている答えというのは、ミツバチとは蜜を集めるハチだというものだ。つまり、私は、徳についても、列挙された特徴すべてのなかに一貫していて変わらない本質を知りたいのだ〟
これに対して、メノンは、ソクラテスに質問した。
〝あなたは、徳が何であるかを知っているのか?〟
ソクラテスは、〝知らないから、徳が何であるかを知りたいのだ〟と答えた。
すると、メノンは、ソクラテスに対して、さらにこう質問した――
〝それでは、あなたは、まだ知らないことを、いったいどうやって探究するつもりなのか? 答えを探り当てたとしても、知りもしないものについて、その答えが正しいとなぜわかるのか?〟
つまり、メノンは、〝知ること〟=まだ知らないことを探究する可能性の根拠は何かということを問題にしたのだった。

これに対して、作中のソクラテスは、神主(かんぬし)や巫女(みこ)から聞いた話として、次のように語っている――
〝魂は不死であり、神のもとと身体との間を行き来しているのだが、そのあいだに、あの世のものやこの世のもののすべてを見て知っている。つまり、魂は、徳や、その他のあらゆるものについて本当は知っているのであるから、知らないことを知ったというのは、実は昔から知っていたことを思い出すことにすぎない。知ったと人が言うとき、それは魂が神の国にいたときに見ていたものを思い出したということなのだ〟
そして、〝それを証明して見せてくれ〟とメノンに言われたソクラテスは、教養がない子どもたちに数学や幾何学を教えていき、彼らが理解していくことを通じて、自分の考えが正しいことを〝証明〟したのである。

このように、すでにすべてのことを見て知っている魂が、忘れていたことを思い出すのが〝知る〟ことであるという考えを「想起説」(アナムネーシス)という。
「想起説」は、ソクラテスとプラトンの哲学の根幹となる考え方である。

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