デカルト(Descartes):主観/客観図式と心身問題– 西洋哲学史と倫理学のキホン(61) –

デカルトは、「神の誠実性」と「明証性の規則」という〝確実な根拠〟を見出したことによって、〝思惟する私が明晰判明に理解した対象は正しく認識されていると信頼してよい〟と結論した。
ここからデカルトは、〝物体や数学的な真理といったすべてのものは思惟する自己=「主観」の認識対象=「客観」であり、そのため、思惟する自己がすべてのものの存在根拠である〟と考えた。
こうした自己と世界の捉え方を「主観/客観図式」と呼ぶ。
そして、この主観/客観図式は、観察と実験による自然科学を発達させる大きな力となった。
その背景には、主観の本質を「思惟」(考えること)とする一方、物体の本質を〝一定の体積を持ち、空間を占めるもの〟=「延長」として計測可能な対象だと捉える、デカルト独自の見方があった。(※1)

このように、主観/客観図式は、自然科学の発達を促したが、反面、大きな問題をも生み出した。
それが「心身問題」である。

デカルトが見出した〝絶対確実な存在〟とは、自己の身体をも含む自己では決してなく、あくまでも〝思惟する自己〟であり、身体は自己の身体といえども、〝思惟する自己〟が認識する対象にしかすぎなかった。
つまり、デカルトにとって身体とは、認識対象として、物体と同じカテゴリーに属するものであり、主観に対する客観なのであった。(※2)
しかし、人間の心身を別々のものと捉えると(「心身二元論」)、不都合な問題が生じる。
つまり、恥ずかしくて顔が赤くなる、ストレスで胃が痛くなる、体調が悪くてテンションが上がらない……というような、心と身体の関連を説明できなくなってしまうのである(「心身問題のアポリア」)。
この問題に対処するため、デカルトは、『情念論』において、人間の脳のなかには、心と身体が相互作用する器官があると想定し、その器官を「松果腺」(しょうかせん)と名づけた。
しかし、たとえ松果腺を想定しても、身体の一部である松果腺において、どのようにして心と身体は相互作用するのかという疑問がふたたび起きる。
これに対して、デカルトは、心と身体の相互作用は、〝日常的で明証的な経験〟によってしか知ることができない「原始的概念」であり、心身二元論によっては知ることができないと述べた。
結局、心身問題は〝解決〟することなく、その後の哲学史における大きなトピックとなっていった。

(※1)こうした見方は「幾何学主義」と呼ばれている。
(※2)デカルトは、人間の身体を精巧な機械のような物体だと考えたが、こうした考え方を「人間機械論」と言う。

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